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第8回公演『グッドナイト将軍』 [1988年]

8月 第8回公演『グッドナイト将軍』 新宿シアターモリエール
天使のミスで、交通事故で天国に行ってしまった少女「わたる」が、映画から飛び出した巴御前の幽霊と出会い、不思議な事件に巻き込まれていく。(観客動員数 2031人)
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「キャラメルボックス・ヒストリー」より。
http://www.caramelbox.com/stage/history/home.html
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福島正平さんの舞台装置が唸りを上げた、「小劇場でここまでやるかっ?!」という圧倒的なセットチェンジで見せた、スペクタクル。
ラストシーン、津田匠子演じる巴御前が、まっぷたつに割れた橋の向こう側から船に乗って現れた時には、わけもわからず誰もが涙しました。
成井豊と西川浩幸が、真っ向勝負で敵味方の役でした。



第7回公演『スケッチブック・ボイジャー』 [1988年]

5月 第7回公演『スケッチブック・ボイジャー』 新宿シアターモリエール
少女まんが家「のはら」の描くSFアドベンチャーの世界と、「のはら」の日常とが交錯するメタフィクション。
●津田が初日の5日前に倒れ、急遽、真柴が代役で出る。驚異的な記憶力を発揮し、ピンチを救った。(観客動員数 2022人)

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「キャラメルボックス・ヒストリー」より。
http://www.caramelbox.com/stage/history/home.html
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1988年5月。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった劇団ショーマの芝居を観た成井が、「これだよ、これ」と、突然脚本の路線変更。
現実に近い状況から、全く別な世界に飛び立つ、というショーマの手法を、キャラメルボックス的にやったらどうなるのか、成井豊だったらどう料理するのか、という模索の結果生まれた作品。

この芝居をたまたま観に来てくださった、当時のまんが情報誌ぱふ編集長中村公彦さんが、「もう、なにがなんでも再演してください!!その時はなにがなんでも大変なことにしてみせます!!」と直訴してきてくださった思い出もあります。
 
この公演をきっかけに、「メタフィクション」の作品が続々生まれていきます。
 
キャラメルボックスがエンタテインメントに特化していくターニングポイントとなった、最も重要な公演の一つでした。


2007-06-01 04:28  nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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第6回公演『子の刻キッド』 [1987年]

1987年12月 第6回公演『子の刻キッド』 新宿THEATER/TOPS
てあとろ50'時代の作品の全面改訂版。
海賊ハック(西川浩幸)、その手下の海賊・ラッシャー(中村恵子)や日吉丸(伊藤ひろみ)が大活躍する冒険活劇……かのように見えて、実は主人公「乙女」(←竜馬の姉・坂本乙女から命名)の夢の中の出来事。
……かのように見えて、乙女の所属する高校の演劇部の活動風景もあったり。
で、洋服ダンスから海賊が飛び出してくるとか、乙女が寝ていたベッドが突然海賊船になったり、どうもそういう設定は某映画『バンデッドQ』に酷似しておりました。

が、結局、ラストシーンで登場した「子の刻キッド」は、乙女の憧れのカレだったのですよ。
観ていた僕は、「えっ、そんなっ?!」と思いつつ、涙したのですね。
んーーむ、あらためて見直してみたいです。
 
……とかなんとか言いつつ、1983年に学生劇団てあとろ50'で『子の刻キッド』を初演した時には、僕(加藤昌史)が乙女の所属していた演劇部の部長「小林君」を演じていたのでした。
 
この時、西川が歌った「ゾクゾクさせる海賊のうた」やら、「海賊出航のテーマ」などのオリジナル曲は、やはりうちの弟が作って、演奏したモノなのでした。ちなみに僕はドラム。ウチの近所の音楽練習スタジオで一発録りしたヤツをそのまま舞台で使って、なおかつ「LPレコード」にもしてしまったのでした。
 
なおかつ、この時の音響担当は、現在So-netでCARAMELBOX PRESSを担当している、ゼネラル・マネージャーの中野氏。
一部で有名な話ですが、中野氏が寝坊して本番に間に合わず、加藤が急遽音響オペをして開演してしまった、ということがあったりもしました。
 
観客動員数 1674人


左から、中村恵子、西川浩幸、伊藤ひろみ。「ゾクゾクさせる海賊のうた」を歌っているシーンです。



第5回公演『北風のうしろの国』 [1987年]

1987年9月 第5回公演『北風のうしろの国』 新宿シアターモリエール
「自分だけの音楽」を作るために七つの橋を渡る「ゴーシュ」の冒険。テーマ音楽は、なんと加藤の弟が作曲!! (観客動員数 1616人

学生時代からそれまで、ずっと高田馬場東芸劇場(120人収容)か、池袋のシアターグリーン(改装前・120人)でやってきた僕たちが、初めてシアターモリエールに挑戦。
初めて下見に行ったときは、愕然とするほどの広さで、仕込みをしてみても、「こんなデカいところでどうやって芝居をやるんだ?!」という喪失感が大きかったことを覚えています。
実際にお客さんが入っても、空間が広すぎて、芝居が小さくて、一体感が産まれない感じ。
そして、お客さんが入ってから気づいたのは、舞台上に座ってやる芝居はほとんど後ろの方からは見えない、ということ!!
この公演を機会に、キャラメルボックスの舞台からは「地べたに座る」という芝居がなくなりました。
それは、中劇場に移ってからもしばらくクセとして残ったのでしたぁっ!!
 
でも、この公演をきっかけに、キャラメルボックス初期「モリエール時代」が幕を開けたのです。
学生劇団から、プロへ。
この劇場に、僕らは育てていただいたのです。
 
ちなみに、真ん中の男は、西川。「片耳」の役ですね。
後ろに怪しい男がいるのが、成井豊。
コワイですねーっ!!



第3回&第4回公演『百万年ピクニック』 [1987年]

この頃は、まだ公演回数の数え方を決めていなかったので、1月に下北沢ザ・スズナリで上演した後に3月に東芸劇場で再演したものを、別な公演としてカウントしておりまして、同じ公演なのに別のタイトルを付けていました。
 
旗揚げ公演から2年目で下北沢進出。
僕らとしては大ニュースでしたが、ずっと高田馬場で上演してきたせいか、ちっとも友達は観に来てくれなくて連日ガラガラの客席でした。
 
東芸劇場での公演は、閉館記念公演に参加したもの。
後輩のてあとろ50'のメンバーもたくさん客演で参加して、賑やかな最後を飾りました。



第二回公演『左腕のガリバー』 [1986年]

1986年9月11日〜15日
高田馬場 東芸劇場(今はもうありません)

■加藤昌史
 旗揚げ公演が想像以上の超満員だったので、気をよくしてその年の秋に第二回公演を敢行。
 学生劇団(劇団てあとろ50')時代も、春と秋の2回公演というペースだったわけですが、キャラメルボックスを旗揚げしてからは、教員をやっていた成井豊の春休みと夏休みを使って台本を書いて稽古をし、公演を行う、というペースに。
 第一回公演ではなにしろ男優は、成井・加藤、そしてほぼ初めての平野、という3人。で、そのうちの一人が全く台詞を覚えられないというとんでもないヤツだったので(←僕です)、第二回公演では後輩のてあとろ50'と、その分派の「風力潜水艦」から客演を頼みました。また、新人もけっこう入ってきたので、むりやりデビューもしてもらいました。
 客演は、てあとろ50'から西川浩幸くん。その後、俳優さんになったようです。
 もうひとりは、風力潜水艦から鈴木源一郎くん。こいつは、その後「イカ天」に「スイマーズ」というバンドで出演したギター弾きでもありました。ちなみに、この風力潜水艦には、後に直木賞を取った作家の角田光代もいました。
 
 ストーリーは、クロとミントというちっちゃい女の子二人が主人公。クロの役は、真柴あずき。主役です。ちなみに、この役名は「時の神・クロノス」から来ているのです!!……そうです、もう、こんな時期から「時間」がキーワードだったわけですね。
 で、この二人が離ればなれになってしまったので、その頃に戻りたい、と思ったクロが、くどくてうざい「時計屋(僕)」からもらった「砂球時計」であの頃に戻って時を止めてしまいたい、と思います。
 が、その「時を自由に操れる」という砂球時計を奪おうとする3人の悪者が。そのうちの一人が、西川君。
 ヒゲをはやして、悪者っぽかったですね。
 
 東芸劇場の天井まで届きそうな大きな歯車のセットが圧巻で、ラストシーンはミント役の須藤友丹が歯車に乗り、そして「伯爵」役の堀江泉さんがかぶっていた帽子をすっと前に出すとそこに、天井から一筋の砂が降ってくる、というこれまたとんでもない仕掛けもあったりして、やってる方も見てる方もびっくり、という芝居でした。
 
この公演に出演していた現存メンバーは……
 
クロ……真柴あずき
ベンケイ……中村恵子
山猫……西川浩幸
キリコ……大森美紀子
チップス先生……成井豊
ランナーたち……伊藤ひろみ
時計屋……加藤昌史

……てなわけで、けっこう残ってますな。
 
おっと、この公演で音響をやったのは、現在So-netで偉くなっている中野秀紀君。僕の、早稲田大学放送研究会の後輩でした。
 
そして、キャラメルボックスを旗揚げしてからずっと、照明とか音響とか舞台とかのいろんなアルバイトをしていた僕が、「劇団しゅうくりー夢」の照明の仕込みに行った時、そのプランナーは、なんとその後ずーっとお世話になる黒尾芳昭さんで、しかも宣伝美術はその後さんざんお世話になるGEN'S WORKSHOPの加藤タカさんでした。
で、たまたまその現場(高円寺・明石スタジオ)にしゅうくりー夢を観に来たGENさんを紹介していただき、この『左腕のガリバー』ではチラシを作っていただくことに成功したのです!!
実は、当時、GENさんは、その後に達也や西川がお世話になる加藤健一事務所のチラシを描いていらっしゃって、そのイラストに、僕も成井も惚れ込んでいました。「いつかこんなチラシを作りたいねぇ」と、学生時代から話していたのですが、その張本人にお会いしてしまい、そのうえに自分のところのチラシもお願いできてしまった、という、もう、まさに、強運としか言いようがない感じだったのでした。
 
ちなみに黒尾さんは、つかこうへい事務所でピンスポットをやっていて、その後加藤健一事務所も担当、第三エロチカとか、当時の超人気劇団を総なめにしていた超人気照明プランナーだったのです。なので、僕がビビッて、実際にお願いすることになったのはずーっと後になった、というわけでした。


2006-02-06 14:31  nice!(0)  コメント(10)  トラックバック(0) 
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第一回公演『地図屋と銀ライオン』 [1986年]

1986年3月7日〜9日
高田馬場 東芸劇場(今はもうありません)

■加藤昌史■
記念すべき第一回公演。
当然のように、タイトルが先に決まったので成井豊は四苦八苦。
ただ、自分が「地図屋」の役をやることだけは決まっていたようでした。
「銀ライオン」が何だったのか、は、今でも思い出せません。ていうか、出てこなかった、ていうか、そんなことは当時は特に考えてもいませんでした。
舞台美術は、福島正平さん。
今にして思えばものすごく狭い東芸劇場の舞台に、時計をモチーフにした巨大なセットを創りあげ、なんと、真ん中の扉が開くとそこにはタイムマシーンが……!!
旗揚げから、キャラメルボックスは時間を飛んでいたのでした。
 
ちなみに、現存する劇団員のうち、この公演に出演していたのは
 
大森美紀子……つなみ
中村恵子……カナカナ
伊藤ひろみ……サザンカ
成井豊……地図屋
真柴あずき……渚
加藤昌史……間宮医師
 
という感じ。
西川浩幸は、後輩の劇団てあとろ50'に在籍していたのに、前説にかり出され、成井が書いた台本通りにしゃべらされた。が、連日超満員だったため、結局客席では見られず、楽屋から客席に降りる階段で全ステージ音だけを聞いていたそうです。
  
 ちなみに、今でも言える僕の台詞。
「マゼランは見た。月と星とに照らされた、銀色に輝く水平線を。マール・パチフィコ。大西洋、と彼は名付けた。だがそれは地獄への入り口だった。行けども行けども海ばかり。やがて食料は食い尽くされ、……」あぁ、この後が思い出せない……。
 でも、20年近く経った今でも覚えているほど練習したのですけど、ちゃんと言えたのは千秋楽だけでした……。


2006-01-23 23:55  nice!(1)  コメント(19)  トラックバック(0) 
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